ほんのむし

本が好き。本の記録。読書を通して自分自身を見つめなおしたい。

【書評】NO.145 斎藤学さんが書かれた「すべての罪悪感は無用です」を読みました。

本の記録NO.145

斎藤学さんが書かれた「すべての罪悪感は無用です」を読みました。

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【本の感想】

 

私は、隠れアスペルガーHSPの気質があります。

 

●人付き合いが苦手

●人のちょっとした言動に敏感

●人の言動が気になって思うようにふるまえない

●極度のあがり症

●人の気持ちを自分のことのように感じてしまう

●予定変更が苦手

●音が苦手...etc

 

自分の言動が、人を傷つけていないか、人にどう思われるかがとても気になり、

一日の終わりにはどっと疲れてしまう。

 物事の原因が、自分の言動にある気がして、「罪悪感」でいっぱいになってしまいます。

 

この本を見つけたとき、そんな自分を救ってくれるかもしれないと思いました。

 

 

しかし、読み始めて分かるのですが、この本は、

過食・拒食サイクル
ギャンブル依存
ワーカホリック
窃盗、嗜癖
こうした人々がもつ無用な罪悪感に由来する症状を「必要なこと」と肯定し、

「私はあなたを見ていますよ」と関心を注ぎ、

その人がありのままで認め合える人間関係を築ける力を付与すること。
彼ら・彼女らの自己評価を高め、傷ついた自己愛を修復することが、

私の仕事

 

と書かれている通り、

筆者は、私のような人間を対象にはしていません。

 

いわゆる

 

●傷つきやすい人向け

 

ではなく、

 

●家庭環境に何らかの原因・起因があって、

過食・拒食サイクル
ギャンブル依存
ワーカホリック
窃盗、嗜癖

で苦しんでいる人向けに書かれたものです。

 

 

ただ、私は、以前に書いたこともありますが、

 

視力障がいがある両親のもとに産まれ、

中高校生のときには、拒食→過食に苦しみました。

 

それは、

「認められたい」

そんな一心でした。

 

〝両親の面倒をよくみ、成績も良い〟

そんな良い子でいることを期待され、また、私自身も勝手にそんなイメージを背負い、

そんな自分を演じ続けていたけれど、ついに爆発した。

それが、拒食→過食という形で現れました。

 

私は、それ以来、「障がい」や「家族」また、「母」という存在が、自分の心のど真ん中に居続け、

障がいがある人

「家族」の再構築

に関わる仕事がしたいと、その道を走っています。

 

こんな私ですので、この本を読んでいると、胸が苦しくなる場面が何度もありました。

 

【読書ノートに残した言葉】

 

 

多くの人が、根拠のない自己処罰気分に陥り無用な罪悪感を背負っているがために、自分を貶めたり、傷つけたりしながら生きざるを得なくなっており、それがさまざまな病のもとになっている。

 

「家に帰れば肩肘張らずに、自分のままでいられる」

「傷ついたり、疲れたりしたら、慰めてもらって休息をとることができる」

それが機能している家族の役割

 

人が変わるのは、変わる必要がある時です。

その気のない人を、外から無理やり変えることはできません。

 

人は、同じ人間関係を繰り返す。

こうした生き様は、はたから見ていると、愚かで滑稽なものにも映りますが、本人にとっては人生をかけた真剣な戦いです。

人生で最も手に入れたいと願いながら、ずっと叶わなかったものを手に入れられるかもしれない真剣勝負なのです。

 

自分の欲望が分からず、欲望を満たすことができなければ、人生に充実感を抱けません。

 

人がこの世を生きていくときに、そんなにはしゃいで、いつも気分晴れやかに過ごせるわけがありません。

人は少々ブルーな気分で、適度な寂しさを抱えながら生きるのがいいのです。

 

最も恨む相手とは、最も愛を要求する相手でもある。

 

怒りや筋肉の力による他者コントロールは乳幼児期にしか適用しませんが、無力や抑うつなど「いじけ」によるコントロールは、成長してからでも一定の効果が期待できます。ですから、人はこれを一生追求し、洗練させてゆきます。

→「この症状はだれに向けられているのか」ということを、慎重に検討する。 

 

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