ほんのむし

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【書評】NO.147 幡野広志さんが書かれた「ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために」を読みました

本の記録 NO.147

幡野広志さんが書かれた「ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために」を読みました。

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幡野広志さんを知っていますか?

 

写真家である幡野広志さん。

自身のブログで2017年12月 余命3年とされる末期がんであることを公表

この時、自身は34歳、子どもさんが1歳半になるタイミング。

 

幡野さんのブログを読み進めるうちに、本を出版されていると知って、この本に出会いました。

 

まずは、本のタイトル

「ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために」

 

このタイトルだけ読むと、限られた時間を前にした筆者が、

「時間」や「仕事」「家族との時間」など、

❛今まで大切にしてこなかった(できなかった)ことを、選び直す❜

そんなストーリだと勝手に想像していました。

 

だけど、読み始めて一瞬にしてそんな思いは砕け散ります。

 

私が、テーマとしている「家族の再構成」ともいえるべきテーマでした。

 

 

生きづらさの根底に深く関わる親子関係

 

子は親の存在は選べない。
だけど、子は親を選び続ける必要はない。

 

友人、恋人、結婚相手...

自分によい影響を与える人の存在を選ぶように、

自分によい影響を与えない人の存在は選ばないように、

 

自分が選べなかった親を選び続ける必要はない。

 

 

 

この言葉を聞いて、ふと肩の荷がおりました。

 

 

私は、私たちは、難病になり余命いくばくもない父の存在に苦しめられています。

何も知らない人は、「お父さんに優しくね。良い最期が迎えられるように。」と

気持ちを押し付けるけれど、これまで、どれだけ、私が、私たちが苦しめられたか知らない。

 

息抜きにと母を誘い、外出すると、すぐに電話が鳴り「お腹がすいたから帰ってこい」と言う。

入院すると、お見舞いは毎日行かないといけない。

自分の思い通りにならないと、暴言を吐く。

自分が病気で苦しいのだから、家族も、辛い苦しい思いをしろ、我慢をしろというのが理屈らしい。

 

病気に関係なく、昔からこうだった。

自分がしんどい時は、家族にも同苦を強要した。

自分がしたいように家族を動かす人だった。

 

 

「家族思いだね」

そんな言葉が私を苦しめる。

 

自分の意志とは別に、相手の顔色を見て動いてきただけだ。

 

何か理由がほしくて、

「家族のためだから」と自分で自分を納得できる言い訳を探してきた。

 

私は「自分のために」生きてはいけませんか?

 

 

ほんとうの強さとは、愛する誰かに対して「助けて」と声を上げられることを指すのかもしれない。

 

がんは、こころを蝕んでいく病だ。

「こころが蝕まれていくプロセス」を知りたかった。

そして、できれば、そこへの対処法というか、特効薬代わりのなにかを見つけたかった。

 

家族は「身内の病」を「わたしの不幸」にしちゃいけない。

 

患者にとっていちばんの苦しみは「自分が家族の重荷になっている」こと。

 

家族とは、「親子」の単位からはじまるものではなく、

「夫婦」の単位からはじまるもの

 

安楽死という選択について、「死に方を選ぶこと」だと考えている人は多いと思う。

でも、これは「生き方を選ぶこと」なのだ。

自分がどのように生きたか、どのような気持ちで、どのようにして最期を迎えたか、そういう「生き方」の問題なのだ。

 

生きるとは、「ありたい自分を選ぶこと」だ。

 

 

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